開発事例

ケーススタディ02 フロントランナーを確実に捉えるスピードと情熱

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読売ジャイアンツの王貞治が世界記録となる756号の本塁打を放った1977年、世界初のオートフォーカスカメラであり「ジャスピンコニカ」の愛称で親しまれたコニカC35AFが発売された。かねてよりオートフォーカスは業界の悲願とされ各社はその開発にしのぎを削っていたが、実現はほど遠いように思われていた。まして大衆向けカメラでオートフォーカスが採用されようとは、誰も考えもしなかった時代に、文字通り彗星の如く現れたこのカメラに、ライバル各社は焦った。

ライバルの1社であるキヤノンは、コニカのパッシブ式オートフォーカスとは異なり、赤外線を被写体に照射して距離を測定するアクティブ式オートフォーカスの開発を密かに進めていたが、もはやオートフォーカスだけでは先行するコニカに勝つことはできないと判断、フィルムの自動巻き上げ機能も併せ持つ世界初の「全自動カメラ」の開発に踏み切る。もはや一刻の猶予も許されないプロジェクトにあって、全自動カメラの心臓部ともいえる自動巻き上げ、ピント調整、絞り調整のための超小型電子モーターの開発陣として東富士電機に白羽の矢が立った。

キーパーツは直流3ボルトのモーターブラシ。やわらか過ぎれば摩耗してしまうし、硬すぎればノイズが発生してしまう。気の遠くなるほどの試行錯誤。わずかな可能性を信じて「とにかくやろう」の合い言葉のもと情熱を傾け、すべての問題をクリア。1979年11月ついに発売にこぎつけた。ジャスピンコニカから遅れること2年、AF35Mオートボーイは瞬く間に人気を独占、その後の独走を勝ち得ることとなった。

オートボーイの開発で培った信頼性の高いモーターブラシのノウハウは、その後軍事用途にも応用され、戦車や地対空レーダーなどの開発にも東富士電機の技術と経験が活かされることとなった。

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